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100マイルなんて走らなくたって人生は生きていけるけれど。


先月末に参戦した「UTMF(ウルトラトレイルマウントフジ)」の約1週間前に書いた記事を今さらながらアップさせていただく。


僕の趣味であるトレイルランニングは、趣味が高じてどんどんと走る距離が長くなっており、今ではいわゆる「ウルトラディスタンス」という100㎞以上のレースに年に2,3本は出ている。


そのウルトラディスタンスレースの国内最高峰の大会がこの「UTMF」。富士山の周りを100マイル(約167㎞)走る。もはやレースというより「旅」だ。


そんな初の100マイルレースを控えた心境をまとめたものが今回の記事。世間的にはよく「変態」と言われるが、そんな「変態」なりの気持ちを整理してみた。


すでにレースは終えているが、今後ウルトラディスタンスレースに挑戦してみたいという人がいたら、もしかしたら何かちょっと背中を後押しできるかもしれない。


どうぞお楽しみあれ。



なぜ100マイルを走るのか?

 

なぜ100マイルなんてアホみたいな距離に挑戦するのか。

100マイルなんて走らなくたって(しかも山を)、人生を何事もなく進めていくことはできるけれど、なぜそんなアホなことに挑戦するのか。


これは100マイルに限らず、ウルトラディスタンスを走るようになるとよく聞かれる質問だが、正直自分でもよくわかっていなかった。わかっていないというか、うまい表現も見つからずいまいち整理できていなかった。


「山が好きだから」とか「体を動かすことが好きだから」などと適当な回答で流すのだが、こんな理由では、この質問に対する回答として圧倒的に弱いのは百も承知。論理性もなければ説得力もない。


持久力には多少自信があったとはいっても、まさか100マイルレースに挑戦するなんて夢にも思っていなかった。トレイルランにハマるにつれて、徐々に「トレイルレベル」が上がってきたことで自然とロングディスタンスに足を踏み入れたのだが、その延長線上にあるものとして、"成り行き上"UTMFに挑戦することになっただけであって、なにかこう「しっくりくる理由」を見つけられずにいた。


もしかすると、好きなことに理由なんていらないのかもしれないが、超長距離を動き続けていると、途中で必ず「なんで俺こんなことやってんだろう…?」と疑問が浮かんでくるもの。


そんなときに自分自身を納得させるだけの「理由」があるかないかで、それ以降の「推進力」に関わってくる気がしている。我が子のためならなんだって頑張れる、という母親の感情などが近いかもしれない。

 

俺ってなんで100マイルなんて距離に挑戦しようとしているんだろう。

 

「100マイルを走る理由」として、なにかもっとこう自分のなかでも納得感のある理由を探していた。



 
 

"楽に過ごした一日"をあなたは明日覚えているか?

 

そんなある日、僕の尊敬する人物の一人である「ヒデ」こと中田英寿氏が、とある朝の情報番組で対談をしていて、そこで何気なく言ったコメントを聞いて、「あー、理由これかも」と腑に落ちた感覚があったので忘れないうちに記事に残しておくことにした。

 

どんな質問だったかはっきりとは忘れてしまったが、確か「幸せとは何か」みたいな話だった気がする。

 

それに対してヒデは、


「多くの人を幸せにできたときに自分も幸せを感じる」


さらに、


「幸せって、苦労や苦難の後により多く感じることができるもの」


というようなことを言っていた。



腑に落ちたのはさらにこのあと。

 

「"楽な一日"があったとする。その"楽に過ごした一日"をあなたは明日覚えていますか?10年後に思い出せますか?」

 

と投げかけ、さらに、

 

「本当の幸せとは"楽な一日"の延長にはない。困難や挑戦の先にある。 ジェットコースターのようにいろいろな出来事があったほうが人生はより豊かで幸せになる。」

 

なんとなく聞いていたのでかなり意訳ではあるが、こんなようなことをたぶん言っていた。




「幸せ」のために100マイルを走る

 

完全に後付けではあるけれど、これが僕が「100マイルを走る理由」である。(ということにしておこうと思う)


 

「人生の幸せのため」


 

あまりに波乱万丈な人生よりは「そこそこ幸せで平凡な人生」を望む自分がいる一方で、ヒデの言葉を借りると、ジェットコースターのような波乱万丈な「刺激」も、実は求めている自分がいる。

 

だから腑に落ちた。

 

「刺激」とはつまり、「困難」や「挑戦」のこと。「幸せ」を感じるために100マイルなんて距離に挑戦するのだ。そんな刺激の先に、本当の「幸せ」があるから。「幸せ」のためなら100マイルにでも挑戦できる。


もしかしたらその「刺激」は、別に「40時間かけて山を100マイル走る」ではなくてもいいのかもしれないが、現状ではそれが、僕の知的好奇心や身体的欲求、さらには家庭円満wを満たすのにかなり理想的なものであることは間違いない、という感覚がある。

 

「人生」やら「幸せ」やらなんだかエモい話になりかけているが、これまでの経験からしても、ここ数年の間で涙腺が緩んだり感動で鳥肌が立ったりした出来事といえば、思い返すとそれは、いずれも「ロングレースに携わったとき」だった。


 

例えば、一人のランナーとして、長い時間いた山からフィニッシュ会場のある町に降りてきて、フィニッシュに辿り着けることが確実にわかった瞬間。


例えば、サポートとして、自分が仮眠を取っている間も動き続けいくつもの山を越えてきた仲間を、フィニッシュ会場で無事に迎え入れた瞬間。


 

こんなときにゾクゾクと身震いをして涙が流れそうになった。普段は滅多に泣かないのだが、涙腺が崩壊しかけたのを必死に堪えた記憶がある。


これを「幸せを感じた瞬間」と置き換えていいのかはわからないが、「感動」と「幸せ」には因果関係があることは感覚的にわかる。




僕にとっての100マイルとは「人生そのもの」

 

100マイルをまだ走ったこともない人間がいきなりこんなことを言うのもいかがなものかと思いつつも、なんだかこの文章を書いていて、僕にとっての「100マイル」とは、もはや冒頭に書いた「山が好き」とか「体を動かすのが好き」という次元の話ではなくて、僕の「生き方そのもの」なんだな、と気が付いてしまった。


マズローの五段階欲求でいったら、間違いなく頂上(自己実現の欲求)だ。


国内旅行でも海外旅行でもなんでもいいが、いわゆる「旅」が、知的好奇心を満たし、価値観(人生)に刺激を与え、自分を成長させてくれるように、僕にとっての「100マイル」はまさに「旅」そのもの。


100マイルに臨むにあたっての、自己の心身との対話とアプローチは知的好奇心を満たしてくれるし、人間が不眠不休で動き続けられる限界であろう100マイルという距離は、生来のM気質の僕の身体的欲求を満たすのに申し分ない。


100マイルの旅は単なるランニング中毒のストイックでアホな遊びではなく、自分を成長させ、大きな喜び(幸せ)を与えてくれるもの。


きっとそういうことだ。


それを求めて100㎞や100マイルなんて距離を走るのだと思う。



  

最後に

 

今回のUTMFが初の100マイルとなる。


昨年末から一緒にトレーニングを積んできた、「100マイル完走させます」の仲間やコーチ、レース前後含め3日間もの長い間、僕ら山猿夫婦をサポートしてくれるネムネムさん(ネムネムさんブログ:DEBUがサブ3と100マイルを目指す!)、そして「亀さんランナー100マイラーへの道」の一旦の終着点となる相方(ブログ:亀さんランナー100マイラーへの道)、SNSを通じてエールを送ってくれる方々、他にもたくさんの仲間がこの旅を彩ってくれる。

 

あと6日。

万全のコンディションでまずは笑顔でスタートを切りたい。

 

きっとかけがえのない旅になる。


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